GS Grand Seiko

PRODUCT STORY 1独創の駆動方式を、
グランドセイコーに。

スプリングドライブという新機構の誕生から、それがグランドセイコーに搭載されるまで、一貫して開発に参加した時計技術者がいる。セイコーエプソン、原辰男。彼は1997年からスプリングドライブの開発に携わり、その完成と量産化を経験した後に、2002年から自動巻開発のリーダーとして奮闘した。

スプリングドライブはぜんまいの力で時計の針と超小型発電機を同時に動かす。その電力で水晶を組み込んだ回路を駆動して規則正しい信号を生成、それに合わせて針の速度を電磁ブレーキで調整し、なめらかなスイープ運針を実現する。原が考案したメカニズムは、発電効率を向上させ、落下や衝撃などの耐環境性も備え、電力を安定供給する、つまりこのムーブメントの精度を支える基幹技術のひとつだ。

原辰男(左)と平谷栄一(右)。ともにセイコーエプソンの時計技術者。スプリングドライブの誕生から、その性能と機能を進化させる技術開発に取り組んできた。

グランドセイコー専用のスプリングドライブ、キャリバー9Rを開発する原のチームの課題は3つあった。まず48時間駆動のムーブメントを72時間駆動とすること。次に自動巻機構を組み込むこと。そして、クロノグラフ化やGMT機構の追加など今後の展開を想定したプラットフォームとなるムーブメントにすること。新しい駆動方式のムーブメントに、機械式時計技術が長年かけて達成してきた実用的な機能と性能を、グランドセイコーにふさわしいレベルにまで高めて組み込むというプロジェクトだった。

動力源となるぜんまいを収める香箱の大きさはほぼ変えずに、駆動時間を48時間から72時間に延ばす。つまり1.5倍の効率アップだ。初代のスプリングドライブから関わってきた原だからこそ、そのハードルの高さと同時に技術的な攻めどころについてもある程度見当がついていた、とも言えるだろう。微細な部品を磨き、力のロスを減らすといった地道な取り組みなどで、72時間駆動のめどはついたという。しかし意外なことに駆動時間を1.5倍に延ばすよりも、自動巻機構の搭載が「壁」となった。

1959年、諏訪精工舎(現・セイコーエプソン)は画期的な自動巻機構を開発する。シンプルでありながら巧妙なその仕組みは「マジックレバー」と名付けられ、現在ではスイスメイドの腕時計にも採用される世界標準の技術になった。コンパクトで効率がよい、という理由で原たちもマジックレバーを選択したのだが、目標にほど遠い結果しか出ない。メカニズムに問題はなかった。原は言う。「原因は人間の生活習慣の変化でした。昔と比べると腕の動きが格段に減っているようなのです」。ならば、巻き上げ効率をさらに向上させるためにマジックレバーそのものの改良に取り組むほかなかった。

スプリングドライブ・キャリバー9R86の試作機。手前から見て9時の位置にクロノグラフの作動を担うピラー(柱)ホイールが見える。直径約3cmの空間に400以上の部品が配置されている。

2004年、スプリングドライブ・キャリバー9R65を搭載した初のグランドセイコーが発売される。1960年に機械式ムーブメントの初代グランドセイコーが諏訪精工舎によって開発されてから44年、その後輩たちが新機構のムーブメントを搭載した新しいグランドセイコーを世に送り出した。信州のメカトロニクスの精髄であり、集大成のムーブメントを搭載したグランドセイコー。次のテーマは、クロノグラフである。それは、ぜんまいで駆動する最も高精度なクロノグラフをつくることを意味する。その開発チームを率いた時計技術者が平谷栄一だった。

グランドセイコーにとって初めてのクロノグラフではあるが、平谷の心算はこうだった。「自分の考える最高のクロノグラフをつくろう、それこそがグランドセイコーらしいクロノグラフになるはずだから」。クロノグラフとは、簡単に言えばストップウオッチ付き腕時計である。歴史を紐解くと、1964年に日本初の腕時計クロノグラフが、69年に「垂直クラッチ」を組み込んだ世界初の自動巻クロノグラフが、どちらも諏訪精工舎で開発されている。