Craftsmanship
Produced by chronos for Grand Seiko

2021.10.22.FRI

  • Facebook
  • LINE

GS史上最高の新世代メカニカルムーブメント 
キャリバー9SA5搭載モデルSLGH005の真価 
Vol.5

グランドセイコーが極めるムーブメント仕上げの装飾美

SLGH005

現行の自動巻ムーブメントとして、第一級のパフォーマンスを誇るキャリバー9SA5。しかし、その魅力は機能や性能にとどまらない。これには、高級腕時計であるグランドセイコーの傑出した自動巻ムーブメントにふさわしい「仕上げ」が盛り込まれたのである。

  • 奥山栄一:写真
  • Photographs by Eiichi Okuyama
  • 広田雅将(『クロノス日本版』編集長):取材・文
  • Text by Masayuki Hirota (Editor-in-Chief of Chronos Japan Edition)

審美性とメンテナンス性を両立した、細かく分割された受

1960年以降、グランドセイコーのムーブメントは、頑強さと高い精度を目指して進化を続けた。その完成形とも言えるのが、現行ムーブメントの9Sメカニカル、9Rスプリングドライブ、そして9Fクオーツだ。しかし、グランドセイコーの技術者たちは、新しく開発する自動巻にはムーブメントに審美性をいっそう高めた新しい要素も盛り込もうと考えた。一般的に、見た目を良くすると生産効率や整備性、そして頑強さは損なわれる。キャリバー9SA5の開発チームが目指したのは、その矛盾の両立だった。

キャリバー9SA5

キャリバー9SA5の大きな特徴が、分割された受である。山を思わせるデザインは、キャリバー9SA5を製造する「グランドセイコースタジオ 雫石」から見える岩手山をモチーフにしたものだ。普通、受を分割すると頑強さは損なわれる。対してキャリバー9SA5は、受けを肉厚にすることでグランドセイコーらしい頑強さを盛り込んだ。

キャリバー9SA5は、スイスの高級腕時計を思わせる、細かく分割された受を採用した。受を分けると歯車などが見えやすくなる。手作業で仕上げを施す高価な機械式腕時計が、こういった受を使う理由だ。加えてキャリバー9SA5には、山の稜線や緩やかな川の流れのような流線形の受が採用された。曲線を与えるほど、受の加工は難しくなる。しかし、キャリバー9SA5の開発チームは、審美性のためにあえて難しい意匠を採用したのである。

分割した受には、見た目以外にもメリットがある。それが高い整備性だ。既存のキャリバー9S65やキャリバー9S85においても受は分割されていたが、キャリバー9SA5ではさらに細かく受を分割することで、整備性がいっそう向上した。例えば、ある歯車に不具合が起こったとする。今までは大きな受を外して、すべての歯車を入れ直さなければならなかった。対してキャリバー9SA5では、不具合のある箇所の受を外すだけで済んでしまうのだ。

また、受自体も分厚くされた。今までのキャリバー9S系自動巻は、基本輪列の上に自動巻機構を重ねていた。対してキャリバー9SA5は、基本輪列と同じ階層に自動巻機構を組み込んでいる。重ねていたものを同じ階層に配することでムーブメント全体を薄くできた反面、土台にあたる地板や、屋根にあたる受を厚くすることができたのである。また、ムーブメントの直径を大きくすることで、機械式腕時計の心臓部である精度を制御する調速機「てんぷ」を支える受は両持ちになり、両側からふたつの軸で固定されるようになった。片側からてんぷを支える受をひとつの軸で固定すると、衝撃を受けた際に歪む場合がある。しかし、てんぷを両側から支える受をふたつの軸で固定すれば、強い衝撃が加わっても歪みにくくなる。審美性を重視するが、決して耐久性は犠牲にしない。新しい設計思想は、キャリバー9SA5に分割した受というかつてないデザインをもたらしたのである。

雫石川の流れを表現したストライプ装飾

キャリバー9SA5

グランドセイコーが搭載する機械式ムーブメント、9Sメカニカルを製造する「グランドセイコースタジオ 雫石」。この工房を囲む豊かな自然が、キャリバー9SA5のデザインや仕上げのモチーフとなった。写真は、岩手県雫石町の中心を流れる雫石川と、グランドセイコースタジオ 雫石の眼前に広がる岩手山。なお、工房からほど近い場所に多く群生する白樺は、SLGH005のダイヤルにあしらわれた。

審美性を追求したキャリバー9SA5は、細部の仕上げも今までのものとは一線を画している。それを象徴するのが、受に施されたストライプ装飾だ。日本製や海外製を問わず、多くの高級腕時計は、ムーブメントの受に波状の筋模様を施している。有名なのはスイスの腕時計が採用する「ジュネーブ・ストライプ(コート・ド・ジュネーブ)」だ。もともとは傷を隠すための模様と言われていたが、今やこの仕上げは、高級腕時計には欠かせない装飾となった。グランドセイコーも9Sメカニカルムーブメントの受に、独自のストライプ模様を施している。

キャリバー9SA5

グランドセイコースタジオ 雫石は、盛岡セイコー工業の雫石高級時計工房内にある。オープンは2020年7月。グランドセイコー誕生60周年という節目の年に誕生したこのスタジオは、隈研吾氏が設計を手掛けたもの。岩手山に対して屋根を大きく跳ね上げた木造建築は、グランドセイコーのブランド哲学である「THE NATURE OF TIME」を体現している。

キャリバー9SA5

グランドセイコーの定石を守りつつも、キャリバー9SA5にはより高度な仕上げが盛り込まれた。受には深い面取りが施されたほか、上面には雫石川の緩やかな流れを思わせるソフトなストライプ装飾が施される。複数の受にもかかわらず、ストライプの方向は完全に揃っている。

今回、キャリバー9SA5が採用したストライプ装飾は、今までものとは似ているようで大きく異なる。グランドセイコーを含めて、日本製の高級腕時計は、モダンな強めのストライプ装飾を施してきた。

ストライプ装飾の方法は、どの時計メーカーも基本的には同じだ。回転させたツールを、受に対して斜めに当て、一方向に引くと模様がつく。グランドセイコーのストライプ装飾は、ツールを深い角度で倒し、受に強く当てることで施されるものだ。対してキャリバー9SA5は、ツールを当てる角度を浅くし、受に対して弱く当てるようにした。その結果、ストライプ装飾は、海外の高級腕時計を思わせるソフトな仕上がりとなった。今までのグランドセイコーと似ているようでまったく異なる理由だ。あえて仕上げを変えたのは、ムーブメントのデザイン同様、デザインモチーフがあったためだ。キャリバー9SA5の開発チームが選んだのは、雫石川の緩やかな流れ。グランドセイコーのメカニカルモデルを製造する工房が拠点を置く、岩手県雫石町を流れる川だ。その緩やかな流れを演出するため、今回、グランドセイコーはソフトなストライプ仕上げに挑んだのである。

もっとも、今までのように、受が一体成型であればストライプ装飾を施すのは難しくない。対して、分割された受を持つキャリバー9SA5では、受を地板に取り付けた状態で波模様が揃うようにしなければならない。今回、グランドセイコーは、分割された受に浅いストライプ装飾を加えてみせたのである。波模様にわずかなズレも見られないのは、優れた職人がいればこそ、だ。

見えないところも決しておろそかにせず、ひとつひとつ丹念に手をかけた部品

キャリバー9SA5の開発チームは、開発目標のひとつに「見えないところも決しておろそかにせず、ひとつひとつに丹念に手をかけること」を挙げた。その言葉通り、キャリバー9SA5には、グランドセイコーにふさわしい美しい仕上げが盛り込まれた。そして、それらの部品の多くは、分割された受から見ることができる。しかし、それ以外のところにも、キャリバー9SA5は手を抜いていないのだ。

キャリバー9SA5

機械式腕時計の精度を制御する調速機「てんぷ」回りの写真。てんぷ両側から支える受の上面にはストライプ装飾が、その下の地板には真珠を思わせるペルラージュ装飾が施される。

キャリバー9SA5

今や、高級腕時計には欠かせない仕上げとなったペルラージュ装飾。キャリバー9SA5の地板にも緻密なペルラージュ装飾が施される。その模様にはムラがなく、隣り合った円の間隔も狭い理想的なものだ。地板を丁寧に加工し、表面をならすことで、ムラのないペルラージュ装飾が可能になる。

キャリバー9SA5を見ると、受の隙間から、地板に施された丸い模様がのぞいている。フランス語で「真珠」を意味するペルラージュ装飾だ。これもスイスの高級腕時計ではよく見られる仕上げで、もちろんグランドセイコーにも使われてきたものだ。ストライプ装飾に同じく、もともとは傷を隠すためのもの。しかし、今や高級腕時計のムーブメントには欠かせない仕上げとなった。

回転するツールを地板に当てると、削れて丸い模様がつく。これを根気よく繰り返していくと、地板全面にペルラージュ装飾が施される。この仕上げには良し悪しがあり、真珠模様が均一で間隔が開いていないのが良いとされる。対して模様が不揃いで、間隔が開いているものは質が悪い仕上げだ。

もちろん、グランドセイコーのペルラージュ装飾は前者だ。地板を加工したあと、角のバリを取り、表面を滑らかに整えることで、ツールを当てた際に金属粉が出にくいのである。削れて出た余分な金属粉は、ツールと地板の間に噛んでペルラージュ装飾に深い傷を付けてしまう。均一に施されたキャリバー9SA5のペルラージュ装飾は、グランドセイコーの高い加工技術を証するものだ。

また、地板や受の側面には、細かい梨地仕上げが施された。普通、側面に施すのは強い筋目模様だ。しかし、受の角に施された鏡面仕上げを引き立てるため、キャリバー9SA5では、あえて細かい仕上げが採用された。ソフトに施されたストライプ模様、鏡面に仕上げられた角の面取り、そして側面の梨地仕上げが、キャリバー9SA5に立体感を与えている。

キャリバー9SA5

キャリバー9SA5が搭載する、ふたつの動力ぜんまいを内蔵する「ツインバレル」を支える受には、香箱真を支えるふたつの大きな穴石が見られる。かつての高級ムーブメントを思わせる、大きく、立体的な特注品の穴石が採用されている。さらに、穴石の周囲にダイヤモンドカッターで面取りを施し、穴石の存在感をいっそう際立たせている点にも注目。

キャリバー9SA5

キャリバー9SA5の在り方を端的に示すのがねじである。「ねじ頭」が分厚く、しかも鏡面に仕上げられたねじは、高級品にしか見られないものだ。最近、美観を気にする時計メーカーはねじ頭を平たく成形したねじを採用するようになった。しかし、昔の高級なねじのように、表面を鏡面仕上げしたものは多くない。この価格ではまず望めない、極めて良質なねじだ。

キャリバー9SA5

元来、歯車の良質さで知られていたグランドセイコー。キャリバー9SA5では、さらに歯車を分厚くし、内側には面取りを、上面と下面には筋目仕上げを施している。写真はキャリバー9SA5のがんぎ中間車。歯車を肉抜きし、その周囲を磨くのは、高級腕時計特有のディテールだ。分厚い歯車にしか施せないため、採用できるのは、耐久性を重視した高級なムーブメントに限られる。

こういった仕上げは、すべての部品に共通する。例えば、歯車の軸を支える赤い穴石。ベアリングの役目を果たすこの部品は、基本的には人工ルビーで出来ている。抵抗を減らす機能部品と考えれば、穴石の形や大きさはあまり重要ではない。しかし、キャリバー9SA5には、昔の高級なムーブメントを思わせる、大きくて立体的な穴石が使われている。開発担当者曰く「穴石は特注品」とのこと。また、穴石の周りの受をダイヤモンドカッターで面取りすることで、穴石をいっそう目立たせた。「穴石の良いムーブメントは高級品」という時計業界の定石を、キャリバー9SA5は最も分かりやすいかたちで見せたのである。

ねじも同様だ。ペルラージュ装飾同様、ムーブメントの部品を固定するねじにも良し悪しがある。「ねじ頭」が丸く、磨かれていないのは質の悪いねじ。対して良質なねじは、ねじ頭がフラットで鏡面に磨かれている。加えて、ねじ頭が厚ければいっそう理想的だ。キャリバー9SA5が採用したのは、その「理想的な」ねじである。写真が示す通り、ねじの頭は非常に分厚い。これならば、強い衝撃を受けてもねじが歪むことはないだろう。また、下手な時計師が触ると簡単に傷が付いてしまう鏡面仕上げのねじ頭は、優れた時計職人を前提としたものだ。量産品としてはありえないほど良質なねじを用いるキャリバー9SA5。その理由は、優れた時計師がいることに加え、雫石の工房でねじも自製しているためだ。

受の間からのぞく歯車も、いかにも高級腕時計らしい。これらの歯には、受同様に面取りが施されている。安価な腕時計に見られる、プレスで仕上げられた薄い歯車とはまったく異なるものだ。加えて、歯車の上面と下面に筋目仕上げを施すことで、見た目にもメリハリがついた。数百万円するスイス製の高級腕時計に肩を並べる歯車は、歴代グランドセイコーの中で、最も良質なものだ。さらに、歯車に固定される銀色の小さな歯車(かな)も、切削跡を消すため、歯の部分を木で磨いている。このひと手間を加えることで、歯車の噛み合わせがスムーズになり、トルクの伝達ロスが減るのである。グランドセイコーのお家芸とも言える、木で磨いた歯車(かな)は見えないところをおろそかにしない、グランドセイコーを象徴するディテールである。

実用性と高い精度だけでなく、審美性も追求したキャリバー9SA5。完成したムーブメントは、性能だけでなく、見た目と仕上げも、現行品第一級なのである。

To be Continued……