GS Grand Seiko

PRODUCT STORY 1「雪白」文字板は、
どのように生まれたか。

時計史上、エポックメイキングなムーブメントであるスプリングドライブが初めてグランドセイコーに搭載されたのは2004年。その次の年には通称「信州の雪白モデル」が発売されている。純白でざらっとした岩肌のようなテクスチャーをもつ文字板が特徴のこのモデルは、グランドセイコーを代表するモデルのひとつである。

スプリングドライブの故郷は信州の塩尻にある。塩尻は松本平の南端に位置し、複数の街道が交差する交通の要所で、列島の中央分水嶺もここを通り、日本海側と太平洋側から運ばれる塩の終点という意味で塩尻と名づけられたという。松本平の西方には北アルプスがあり、日本のアルピニズムの聖地である山々が壮大な屏風のように連なっている。

現在の文字板工房のリーダー、白木智博(左)とクラフトマンたち。腕時計の「顔」をつくるこの工房、各工程で高度な職人技が要求される。

グランドセイコーに搭載されているスプリングドライブ・キャリバー9R65を裏側から見る。輪列から香箱へと続く部品のレイアウトは、信州 時の匠工房から眺める北アルプスの前衛となる常念山脈とその奥にある穂高連峰を模したものである。この山々は10月には冠雪し、白い頂は荘厳さを増す。

時計の顔である文字板でも、故郷を象徴する何かを表現することはできないだろうか。セイコーエプソン「信州 時の匠工房」に属する文字板工房、その前身にあたる「文字板ワークショップ」に、この課題が持ち込まれたのは2004年のことだった。ひとつのアイデアとして以下のようなものがあった。北アルプスの山々の山肌のような凹凸のある文字板を、そこに降り積もった美しい新雪を思わせる純白にしてはどうか。ムーブメントと同じく、スプリングドライブの故郷から望む山々の清らかで厳かな姿を表現しようというのだ。工房ではさっそく試作に取り掛かることにした。具体的にカタチにしてみなければ、アイデアはアイデアのままで終わってしまう。クラフトマンの腕の見せどころである。

「雪白」文字板誕生のきっかけとなった71年の56GSモデルと、文字板工房に保存されている「型打ちサンプル」。ユニークな雪白文字板は、アイデアとレガシーから生まれた。

工房には、過去の文字板の型サンプルが数十年分保存されている。アイデアに合致しそうな、凹凸の不規則な模様のサンプルがいくつかあったが、北アルプスの山々に積もり始めた雪を表現できるものかはわからない。しかし当時の工房のリーダーは1971年製と記録されているひとつの型サンプルを選んだ。その文字板がどんな腕時計に採用されたものかはわからなかったが、数十年前のデザインのため文字板の径が小さい。新しいグランドセイコーのために新しい金型が彫られることになった。具体的には、銅の電極型に工具を用いて手彫りしていく。それをスチール合金の型に転写し、プレス型をつくる。その型を使用し200トンの圧力で真鍮のプレートに打ちつけ、文字板の原型をつくる。

さて問題はこの原型を、いかに「純白」にするか、だった。白ならば白く塗ればいいわけではない。塗料は凹凸の稜線を隠し、谷間を埋めてしまう。かといって塗料を減らせば純白にならない。試行錯誤を経て、鍍銀(銀めっき)する方法が検討された。銀は可視光の反射率が金属中最大であるため、光沢がなければ白色になるためだ。鍍銀工程での溶液設計と電流密度、浴時間を調整しながら、発色と細部の質感を変えない銀の厚さをミクロン単位で探っていく。試作した文字板は各スタッフから高い評価を得た。「白」を使わない純白の文字板の誕生である。そのようにして80を超える工程数の文字板が、スプリングドライブを搭載したグランドセイコーの新しい顔になり、のちに「信州の雪白」と名づけられ、ロングセラーモデルになったのである。凹凸の表面積はフラットなものより大きくなるので、さまざまな方向からより多くの光を受ける。この文字板が白より「白い」理由のひとつは光だろう。