明日のメイドインジャパン vol.11
キャリアを重ねたからこそわかる、手を動かすことの喜び
—— 相澤陽介(ファッションデザイナー)

2006年に「服を着るフィールドは全てアウトドア」をコンセプトに、自身のブランド「ホワイトマウンテニアリング」をスタートさせたファッションデザイナーの相澤陽介さん。パリ・コレクションに参加し高い評価を得る一方で、世界中のブランドとのコラボレーションも積極的に行っている。まさに順風満帆にキャリアを積み重ねているが、その実、クラフトマンシップへの憧れを胸に秘めていた。
Photos: 小林久井 Hisai Kobayashi
Words: 篠田哲生 Tetsuo Shinoda
日本と世界を隔てるものはない

- 相澤さんがクリエイションの場としてつくった長野県軽井沢のアトリエ。アウトドアをテーマとした服をデザインするからこそ、自分自身を森の中に置き、そして考える。
美術大学を卒業しアパレル企業へ入社した相澤陽介さん。世界的な人気を誇る日本のファッションブランドから学んだことは大きかった。
「いちばんはメンタルの部分ですね。大学では染織デザインを学んでおり、ファッションよりはアート系を志向していました。アパレル企業に入社して配属されたのが企画生産部で、幸運なことに若い時からパリコレに同行させてもらえました。ファッション業界に入って気が付いたらずっとパリコレの仕事をしていたっていう状況ですね。しかも、メンズとレディスの両方を担当したので、年に4回もコレクションに参加するのです。そんな贅沢な環境を、いきなり体験できたのは大きかった。そのため2006年に自分でファッションブランド『ホワイトマウンテニアリング』を立ち上げた際も、パリコレは“挑戦する場所”ではなく、自分の作品を“発表する場所”として考えることができました。そういうメンタリティを学ぶことができたのは大きかったですね」

- アトリエの周辺を散歩したりバイクで走ったりして見つけた、自然の中の色を写真に撮り、生地メーカーとともに新しい生地を開発していく。自然界にある色や光と影の微妙なニュアンスを表現するためには、熟練の技が必要になる。
日本から世界へと視野を広げるのが常識だった環境でキャリアをスタートした相澤さん。しかし会社員時代は、日本の服飾産業の現状を学ぶ機会でもあった。
「日本の縫製工場などにも足を運び、現場でものづくりを学びましたね。一緒にものをつくっている人の顔を知っているのは大きい。製造現場にどういう言葉で説明すれば、自分のイメージをかたちにできるかがわかりますから」
しかし日本の服づくりの現場を知っているからこそ、そこに危機感も感じている。
「イタリアのブランドと仕事をすることも多いのですが、イタリアと日本の服をつくる意識のレベルには大きな差があります。イタリアには、コレクションに参加するような有名ブランドの服をつくりつつ、自社製品を展開するファクトリーブランドが多い。現場からブランディングして世界的なブランドになっていくので、仕事に対するプライドがとても高い。僕のデザインにも自分の解釈を入れて提案してくるし、一歩も譲らない(笑)。しかしディスカッションを重ねることで、服のクオリティやブランディングが担保されていく。それは理想的な環境ですよね。縫えないものがあれば、新しいミシンを導入してでも縫製技術を高めようという意識があるんです」
未知なるものにも挑戦するのが日本の職人魂

- アトリエで過ごす時間は、なるべく手をかけることを意識する。キッチンに立って料理をつくる時間も大切で、レコードに針を落とすというひと手間も楽しむ。
もちろん日本の服飾業界にも、誇るべきクラフトマンシップはある。
「イタリアは自分たちの技術に対するプライドがあり、自分たちの工場を通していいものをつくるという感覚ですが、日本の場合はつくったことがないものにもチャレンジしてくれる。デザイナーやパタンナーが求めるものを完璧につくる能力は、日本が圧倒的に高いですね。僕がブランドを始めたばかりの頃ですが、ゴアテックスをウールに貼り付けた生地を5種類ぐらいつくり、それをパッチワーク状態にするという手間のかかる服をつくったんです。他国なら絶対に断られるような提案も、きちんとやり方を考えてくれる。過去の経験で、300以上のシフォン素材でオートクチュールのドレスをつくった際には、縫うことができないので、生地の端を溶かしてくっつけてかたちにしました。縫製工場と一緒に製法を考え、デザイナーが求めるものをつくり上げる。それは日本の職人レベルが高いから可能なのです。だからファッション業界においては、日本とイタリアだけに、方向性こそ違いますがクラフトマンシップが残っていると思います」

- 「『SBGE283』を着用すると、まずその軽さに驚きますね。スプリングドライブムーブメントを選んだのは、その独自のメカニズムやスイープ運針と呼ばれる滑らかな針の動きに興味があったから。新しいプロダクトが好きなんです。歴史の長い高級時計の世界では、まったく新しいアイデアはなかなか出てこない。だからこそこの時計には価値がある。イタリアのファッション関係者はみんな時計好きなので、グランドセイコーは格好のコミュニケーションツールになってくれそうです」
そもそも洋服という文化は、西洋から入ってきたものであるため、歴史や伝統といった面で、日本が太刀打ちするのは簡単ではない。
「海外のブランドと仕事をしていると、このジャケットには何を合わせるのか? 靴はどうするんだ? など、デザインだけでなく、その奥にあるスタイルまで提案してくれと言われます。逆に日本の場合は、個々のプロダクトがよければいいという考え方が強い。それは地方の伝統工芸品にも通じるところがあります。すごくいいものをつくっているのに、評価がそこで終わってしまい、ライフスタイルの中に入ってこない。それはとても歯がゆいところでもあります」
だからこそ、頭を使い、過去に学び、吸収することでオリジナルを超え、さらによいものをつくっていこうとする。相澤さんは服をデザインする上で、自分自身のライフスタイルを通じてイメージを深める。
「ここ一年は、デザインを考える時は軽井沢のアトリエに来るというのがルーティンになっています。僕の服は、袖を通した時にどこまで快適でいられるかというのが大事なので、実際に自分でつくったものをアウトドアで体験してみないと説得力がないですよね。だからこのアトリエが必要なんです。そういう時に着ける腕時計は、やっぱりスポーツウオッチがいい。グランドセイコーをあえてアクティブに使うのが、今の生活とフィットするんです」
クラフトマンシップへの憧れを実現したい

- 相澤陽介
- 1977年、埼玉県生まれ。多摩美術大学染織デザイン科を卒業し、コム デ ギャルソンに入社。ジュンヤ ワタナベの企画生産部でキャリアをスタートさせる。2006年に「ホワイトマウンテニアリング」を創立。13年1月のピッティ・ウオモのゲストに選ばれ、海外で初のランウェイショーを行う。そして、「モンクレール W」「バートン」「バブアー」「ラルディーニ」などとも仕事を行う。18年からは母校である多摩美術大学の客員教授も務めている。無類のサッカー好きが高じ、北海道コンサドーレ札幌を運営する株式会社コンサドーレの取締役にも就任した。
時間を見つけては、都会の喧騒を離れてアトリエへ向かう相澤さん。そうしているうちに、また新しい欲求が芽生えてきた。
「クラフトマンシップはいちばん好きな言葉で、最も憧れるところです。僕はデザインを生み出す側なので、本当の意味でのクラフトマンシップには辿り着けないと思っているし、手を動かしてプロダクトを生み出すことに憧れがあるんです。若い頃は目の前にある仕事を進めていくのが精一杯でしたから、実際に自分で手を動かして、あれこれと職人的に考えるよりも早くゴールに辿り着きたくなる。それも間違ったことではないのですが、ずっとやっていると自己矛盾みたいなのも出てくるんですよね」
年齢を重ねるにつれて、“自分がやりたいこと”へのタイムリミットが近づいてくる。
「例えばこのアトリエの内装は、付き合いの長い友人にお願いしたのですが、彼らは本当の職人で、手の感覚で作業を進めていく。頭と手の両方が動いてクオリティを上げていくことの喜びを改めて実感しました。今後は自分でもこういうことをやれたらなと思いますね」
ものづくりのやり方にはいろいろな正解があるだろう。しかしひとつだけわかることは、頭で考え、手を動かすことはとても楽しいということだ。