明日のメイドインジャパン vol.19

クラフトマンシップは、技術より精神性に宿る
—— 増田醇一(増田德兵衛商店代表取締役社長)、増田德兵衞(同会長)

増田醇一(増田德兵衛商店代表取締役社長)、増田德兵衞(同会長)

銘酒「月の桂」の醸造元である増田德兵衞商店は、国内屈指の酒どころ京都伏見で最も古い酒蔵のひとつ。江戸時代初期から続くこの老舗で、昨年、20代の社長が誕生した。国内初のにごり酒を開発し、いち早く熟成酒の貯蔵を始めた革新性のある酒蔵は、これからどこへ向かうのか。増田醇一社長と増田德兵衞会長に、それぞれの思いを聞いた。

Photos: 蛭子 真 Shin Ebisu
Words: 小久保敦郎 Atsuo Kokubo

若くして老舗の社長を引き継ぐ意味

漆喰の壁で覆われた堂々たる母屋の居間で語らうふたり。執務室として使われるこの空間にも、長い歴史が刻まれている。
 
漆喰の壁で覆われた堂々たる母屋の居間で語らうふたり。執務室として使われるこの空間にも、長い歴史が刻まれている。

京都と大阪を結ぶ古道沿いに酒蔵を構え、まもなく創業350年を迎える増田德兵衞商店。豊かで良質な伏見の水で醸す「月の桂」という酒の名は、縁ありし公家が詠んだ歌にちなんでつけられたという。

この歴史ある造り酒屋で、2022年6月、次世代へのバトンタッチが行われた。社長に就任したのは、増田醇一さん。前社長で会長になった14代増田德兵衞さんの長男だ。就任時は29歳。40代で社長になっても「若い」といわれるこの業界では、異例の早さといっていい。

「以前から、早いうちに社長の座を譲りたいと考えていました。できれば彼が20代のうちに。そのほうが、面白いことができるのでは、と思いまして」と德兵衞会長は言う。

増田家に代々伝わる骨董品の酒器コレクション。ほかにも浮世絵や古文書など希少な品々が数多く残されており、それらは醇一さんが新たなアイデアを模索する際にヒントを与えてくれる。
 
増田家に代々伝わる骨董品の酒器コレクション。ほかにも浮世絵や古文書など希少な品々が数多く残されており、それらは醇一さんが新たなアイデアを模索する際にヒントを与えてくれる。

それは東京で働いていた醇一さんが自宅に戻り、家業を手伝い始めて3年目のこと。「急やわ、めちゃくちゃやな、と思いました」と当時を振り返りながら笑う。それでも、いずれ家を継ぐのだろうという思いがどこかにあった醇一さんは、「社長業は長く経験するほど判断力が増していく。早いほうが得かも」と快諾したのだった。

江戸時代から連綿と続く、酒づくり。そんな伝統ある家業を受け継ぐことについて、醇一さんはどう考えているのだろうか。

「正直なところ、大変なことばかりですね。古いしきたりをどう守るのか、どこを新しくするのか、常に問われている。とても難しい。それでも、伏見という恵まれた場所で酒づくりを始めて、ここまで続けているのは、日本の文化として大切なこと。誇りに思っています」

温故知新を大切にする、増田家の酒づくり

腕時計は右手派の醇一さんが身に着けるのは、穂高連峰の急峻な岩稜をダイヤルに表現した「SBGE295」。穂高の短い夏の鮮やかな情景から着想を得たグリーンに、「とても美しい。シンプルだけどエネルギッシュなデザインですね」と醇一さん。
 
腕時計は右手派の醇一さんが身に着けるのは、穂高連峰の急峻な岩稜をダイヤルに表現した「SBGE295」。穂高の短い夏の鮮やかな情景から着想を得たグリーンに、「とても美しい。シンプルだけどエネルギッシュなデザインですね」と醇一さん。

酒づくりに適した米の栽培に始まり、職人の手仕事を経て、良質な酒を生み出していく。「酒づくりはクラフトマンシップそのもの」と醇一さんは言う。

「特にうちの酒づくりでは、純度を大切にしています。水のおいしさだったり、米の甘さだったり、純度の高いものに向かって、手間を惜しまない。しかしすべての隙間を埋めるのではなく、空間と想像の世界をつくる味わい、それはボタン一つで何でもできる時代だからこそ、差がつく部分だと思っている。手間を惜しまないという精神性が、月の桂の品質を支えています」

とはいえ、これまで守り伝えられてきたことを繰り返しているだけではない。いつも頭の片隅にあるのが、「温故知新」という言葉だ。

「先人が作り上げてきたものを、僕の代としてどう解釈し、形にしていくのか。古いものから学び、新しいアイデアに繋げていく姿勢を大事にしています」

月の桂の代名詞として親しまれている「純米にごり酒」。右の一升瓶は1964年の発売当時のもの。シュワシュワっとした泡が心地よいスパークリングにごり酒で、立ち上る気泡が目で楽しめるよう醇一社長がラベルデザインを一新した。
 
月の桂の代名詞として親しまれている「純米にごり酒」。右の一升瓶は1964年の発売当時のもの。シュワシュワっとした泡が心地よいスパークリングにごり酒で、立ち上る気泡が目で楽しめるよう醇一社長がラベルデザインを一新した。

温故知新は、増田家の酒づくりを紐解くキーワードでもある。日本酒の一ジャンルとして確立されている「にごり酒」を1964年に初めて製品化したのは、この酒蔵だった。きっかけは、13代増田德兵衞が発酵・醸造学の権威・坂口謹一郎に「どぶろくを現代に復活させよう」と声をかけられたこと。

どぶろくは1896年の酒税法で自家醸造が禁止されていた。「先代(13代)が目指したのは、どぶろくではないけれど、どぶろくのような味わいをもつ酒。研究を重ねた末、それがにごり酒という形になりました」と德兵衞さんが説明する。

「日本酒はいかに均一なものを大量につくるか、という方向に向かっていました。本来は個性とか季節感とか、味の違いが生まれるものなのに。そんな忘れられがちなことに改めて向き合う姿勢も、クラフトマンシップといえるかもしれません」

クラフトマンシップは精神性に宿る

増田醇一、増田德兵衞
増田醇一
1993年、京都府生まれ。東京の広告代理店で経験を積んだあと、実家の増田德兵衞商店へ。2022年、代表取締役社長に就任。伝統を継承しつつ、新しい感性によるアプローチで日本酒の魅力を発信している。
増田德兵衞
1955年、京都府生まれ。91年に増田德兵衞商店代表取締役社長に就任、2009年に14代目を襲名。22年、代表取締役会長に就任。明治以降忘れられていたどぶろくを現代に復活させた月の桂「にごり酒」は醸造学会で最高の評価を得ている。

社長として31年の間酒蔵を切り盛りし、老舗の伝統を守り続けてきた德兵衞さん。会長としてサポートする立場となったいま、醇一さんにこうエールを送る。

「伝統とは、革新の連続。常に新しいものにチャレンジしないと、いい意味での伝統は続かない。時代に流されることなく、自分なりのアイデアをもって立ち向かってほしいですね」

一方の醇一さんは「おいしい酒をつくるのは、メーカーとして当たり前。酒の周辺文化とも連携しながら、飲み方や価値も発信していきたい」と前に歩みを進める準備を着々と行っている。

酒づくりを家業とするふたりに共通していたのは、「クラフトマンシップは技術より精神性に宿る」という考え方だった。長く受け継がれてきた伝統を守り、次世代へ繋いでいく。その時に欠かせない何かが、この言葉の中にあるのかもしれない。

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