明日のメイドインジャパン vol.14
たゆまずに言葉を掘り起こして、ふたつの表現を窮める
—— 尾崎世界観(ミュージシャン、小説家)

メロディに乗せて歌うための言葉と、ストーリーを伝えるための言葉。ふたつの異なる手段を駆使し、日本語の表現を掘り下げているのが尾崎世界観さんだ。人気ロックバンドを率いるミュージシャンとして、そして芥川賞候補にも挙がった作家として多くの人を心酔させる彼が自身のユニークなスタンスを語る。
Photos: 森山将人(TRIVAL) Masato Moriyama
Words: 新谷洋子 Hiroko Shintani
正解のない言葉の世界に居場所を見つける

- これまでに幾人もの作家たちを迎え入れてきた、「新潮社クラブ」の2階の一室で。2年前に尾崎さん自身が訪れた時には、夕方から朝方まで、のちに芥川賞候補に挙がる『母影』の原稿の最終チェックに没頭したとか。「小説を書いて何かに選ばれると、表現者としての残り時間が延長されたように感じるんです。昔見たテレビのオーディション番組で、出演者が歌っている時に審査員がボタンを押すと時間が延長されるというのがあって、そんな感覚ですね。自分に残された時間が増えたと感じる」
東京・神楽坂の一角に立つ「新潮社クラブ」は、1960年代から作家たちが執筆に打ち込むために滞在してきた、日本の文学史が刻まれた場所だ。第164回芥川賞候補に挙がった小説『母影(おもかげ)』の仕上げのためにひと晩を過ごして以来、2年ぶりにここを訪れたという尾崎世界観さん。
「やっぱり言葉は面白いと、今になってさらに思います」と話す彼は同時に、日本武道館のステージに立って満場の観衆を沸かせるロックバンド、クリープハイプのフロントマンでもあり、音楽と文学、どちらの表現においても日々言葉と向き合っている。子供の頃から読書を愛し、文章を書くことの面白さを実感したのも早かった。

- 2021年に刊行された『母影』と、そのゲラ刷り(校正のための試し刷り)の控え。クリープハイプの楽曲で時折女性の視点で作詞をしている尾崎さんは、この小説を、小学生の少女の視点で、平仮名を多用して綴った。「『母影』では特に他者を意識して書きましたが、結局は他者になろうとしている自分自身が出てくるので、完全に他者にはなり切れない。どこまでも自分と向き合っているということです」
「文章を書くのは面白いと初めて感じたのは、小学校の頃に書いた作文の反応がよかった時です。とにかく、正解があるものが苦手だったんですけど、国語のテストで“この時に主人公はどう思っていたか?”というような問題なら点数が取れたんです。自分なりに操作できる余白がある答えであれば、どうにか辿り着ける可能性があるなと思いました。その延長に作文があって、数字ではなく、言葉で答えを導き出す時のゆるい感じにまず魅力を感じました」
ふたつの表現の間を行き来する

- 普段の生活の何気ない瞬間にも言葉の力を実感するという尾崎さん。「例えば、バンドの練習をしている時にメンバーに言ったことが、家に帰ってから“余計だったかな”と気になってきたり、ただ普通に生きていても気になる言葉がいっぱいある。わりとネガティブな言葉をいつまでも引きずったりするんですが、それも突き詰めればただの音なのに、そんなふうに引っ張られる自分の感情の動きが面白いですね」
その後、バンド活動を始めてからも自然に作詞を手がけるようになり、独特の言葉遊びを含んだ多層的な歌詞はしばしば“文学的”と評された。それだけに、2016年に半自伝的な小説『祐介』で文壇デビューしたことに、クリープハイプのファンはさほど驚かなかったかもしれない。以来、文筆業にも精力的に取り組んでおり、今では、20年のキャリアをもつミュージシャンとしての揺るぎない矜持と、成長の渦中にある作家としての謙虚さと向上心とが、彼の内に微妙なバランスを見出しているようだ。
「音楽に対する評価にはあまり執着しないんですが、小説に関しては、ものすごく人の評価が気になります。やっぱり、“できている”と“できていない”の差がいちばん大きいですね。音楽はできていると思っているので、誰がなんと言おうと気にしない。小説に関してはできていないと思っているから、その分めちゃくちゃ甘えられるし、100%自分をぶつけても絶対にびくともしないという安心感がある。だからやっていて楽しいし、ある意味で楽ですね。それを“できているよ”と言ってくれる人もたまにいるので、その時の喜びは言葉にできないほど大きいんです」

- 尾崎さんが腕に着けるグランドセイコー「SBGE285」は、腕時計としての使いやすさや美しさを追求した「エボリューション9 スタイル」にGMT機能を付加し、機能そのものを強調したデザインでつくられたもの。流れるように進む秒針の様を見ながら、「(書いていると時間が)あっという間に過ぎてしまいますね。家を出る前にちょっとだけ書いてみようと思って、気付いたら約束に遅れてしまったり。不思議ですね、時間というのは。練習嫌いなので、ライブのリハーサルをやっていても、全然時間が経たないと思ってしまうんですけどね(笑)。音楽をやっている時と、文章を書いている時とでは、時間の経ち方が全然違います」と、尾崎さん。
もちろん音楽づくりを通じて培った感覚は小説にも反映されているといい、文章のリズムへのこだわりを例に挙げる。「読んだ時の音だけでなく、目で文字の形を追っていく時のリズムも意識します」と尾崎さん。一方で、今年の4月には、クリープハイプの歌詞集『私語と』を出版。楽曲から言葉を切り離して文学作品として提示するという試みに挑戦した。
「音と言葉の組み合わせで、言葉にならない気分を伝える音楽は素晴らしい。それをやっているからこそ、小説で、言葉だけで難しい感情を表現したいという欲が生まれるんだと思う。そういう意味で、両方を知っている自分はラッキーだなと感じるようになりました。昔は歌詞を書きながら“もっとやれるのに書き切れないな”と思っていたけれど、もっと書きたいなら小説やエッセイでやればいい。だから音楽にも肩の力を抜いて向き合えています」
自分にはないクラフトマンシップに憧れて

- 尾崎世界観
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1984年、東京都生まれ。高校時代にバンド活動をスタートさせ、2001年にクリープハイプを結成。2012年にアルバム『死ぬまで一生愛されてると思ってたよ』でメジャーデビューを果たす。以来6枚のアルバムをリリースし、最新作『夜にしがみついて、朝で溶かして』(2021年)は、オリコン週間アルバムランキングでキャリア最高の3位を記録した。作家としての第一作は2016年に刊行した『祐介』。ほかにエッセイ集『苦汁100%』、『泣きたくなるほど嬉しい日々に』などを刊行し、『母影』で第164回芥川賞候補に。
(衣装クレジット)
ジャケット、パンツ/ともにビーミング by ビームス(ビーミング ライフストア by ビームス ららぽーとTOKYO-BAY店 TEL:047-436-6500) シャツ/ワイルド ライフ テーラー(ジュンカスタマーセンター TEL:0120-298-133)
そんな尾崎さんは言葉を綴る作業を彫刻に例え、自分の内から「どんどん掘り起こしていくような感じ」と表した。それはクラフトマンシップと呼べるアプローチなのではないかと問うと、「いや、クラフトマンシップは、自分のアプローチとは真逆のものです」と彼はきっぱり否定する。
「だからこそ、職人のようにしっかりつくっていく感覚に憧れがあります。自分にはできないことだから、時々そういうものに触れると、悔しさもなく“本当にすごいな”という尊敬の念が湧いてくる。小説に対する気持ちと同じで、絶対にできないからこそ、安心感があります。例えばこのグランドセイコーの腕時計も、見た瞬間にただ“いいな”と思った。言葉で仕事をしている人間なのに、突き詰めると、こんなにもシンプルな感想が出てくるのが面白いですね(笑)」