Caliber Stories
Produced by chronos for Grand Seiko

2021.09.22.WED

GS史上最高の新世代メカニカルムーブメント 
キャリバー9SA5搭載モデルSLGH005の真価 
Vol.4

ついにグランドセイコーが到達した外観・機能美

SLGH005

今や、グランドセイコーの代名詞的存在となった立体的な造形。1967年に「セイコースタイル」というデザイン文法を確立したグランドセイコーは、その「文法」により、ほかにはない個性をグランドセイコーに与えることに成功した。それから半世紀以上。セイコースタイルを基礎としながら、腕時計としての使いやすさや美しさをさらに追求した独自のデザイン文法を開発し、「グランドセイコー エボリューション9コレクション SLGH005」へと結実した。

  • 奥山栄一:写真
  • Photographs by Eiichi Okuyama
  • 広田雅将(『クロノス日本版』編集長):取材・文
  • Text by Masayuki Hirota (Editor-in-Chief of Chronos Japan Edition)

グランドセイコーの原点であるデザインコード「セイコースタイル」の基本形とその進化

キャリバー9SA5
キャリバー9SA5


1967年の「44GS」で確立されたセイコースタイル。原則、三次曲面を取り入れず、二次曲面と大きな平面を組み合わせた造形を持つ。また、それぞれの面には極力歪みをなくした、鏡面仕上げが加えられた。平面に歪みのない鏡面仕上げを与えるザラツ研磨は、このモデル以降、広く用いられるようになった。

平面と直線がせめぎ合うセイコースタイルの造形を実現させる上で重宝したのは、外装設計の寸法単位規格の変更だった。グランドセイコーは、それまで時計業界の主流だった「リーニュ」という単位を使っていたが、1961年に「ミリ」へと変更。最小単位が1/4リーニュ(約0.56mm)から0.1mmまで使用できるようになったことで、より繊細な外装設計を行うことが可能となった。

グランドセイコーは、高級腕時計としての普遍的な価値を創り出すために、いっそう難しい造形に取り組んだ。それが、1967年の「44GS」である。これは、グランドセイコーが目指した「燦然と輝く腕時計」を工業製品としては不可能とされる次元で実現したものだった。

44GSによって確立されたセイコースタイルは、スタイルと呼ぶにふさわしく、明らかな個性を持っていた。ひとつは際立った立体感。かん足とケース上面を一体化し、光を受ける平面を広く取り存在感を高めるだけでなく、裏ぶた側に向けてベゼルとケースの側面を絞ることで、44GSは量産品とは思えないめりはりの効いた造形をかなえた。そして、もうひとつが鏡面仕上げ。プレスで成型したケースは、面が歪み角も丸くなってしまう。そこでグランドセイコーは、ガラス縁上面とケース上面にザラツ研磨を施すことで、ケースに完全な鏡面仕上げと、切り立ったエッジを与えたのである。また、時分針とインデックスのすべての面を、ダイヤモンドカッターで均すことで、高い視認性と高級感を与えることに成功した。量産モデルという制約を超えた44GSの造形。以降、44GSの打ち立てたセイコースタイルは、グランドセイコーの定石として定着していく。

セイコースタイルを受け継ぐ仕上げの醍醐味

立体感、鏡面、エッジと高い視認性を持つデザイン手法。それを昇華させたのが「グランドセイコー エボリューション9コレクション SLGH005」だ。1990年代以降、グランドセイコーのデザイナーたちは、セイコースタイルというコードを踏まえつつも、より個性的で質感の高いデザインに取り組んできた。そして、グランドセイコーの根底に流れる美学と品格を深化し続け、このモデルに結実した。

一例がSLGH005のかん足である。かん足とケースの上面を一体にするのは44GSに同じ。しかし、ケースの側面にはもうひとつ斜面が加えられたほか、かん足の先端も裁ち落とされた。今も昔も、グランドセイコーのケース職人たちは、最終的にケースの造形をザラツ研磨で決めていく。研磨剤を当てたペーパーに磨きたい面を当てて、平面に仕上げていくのである。

ザラツ研磨の難しさは、力を入れすぎると面が歪み、かといって力を入れないときれいな鏡面を出せない。平たい面でさえ磨くのが難しいのに、形が立体的になり、面の数が増えると、きれいに仕上げるのは一層困難になる。より角張ったデザインと、複数の面を持つSLGH005のケースは、ザラツ研磨を施すにはかなり難しいものなのだ。しかも、かん足の先端を裁ち落としているため、ケースを磨きすぎると、左右の造形の違いが簡単にわかってしまう。グランドセイコーのデザイナーたちは、職人の技量を試すかのように、難しい造形を盛り込んだのである。

キャリバー9S85

SLGH005では、セイコースタイルがより強調された。針とインデックスが大きくなり、立体感が増した結果、視認性もいっそう高まった。ダイヤルの下地はプレスで型打ちした白樺模様。普通はダイヤルに凹凸をつけると、視認性は悪くなる。しかし立体的な下地に厚くクリアラッカーを吹き、それを磨き上げることで、他にはないユニークな造形と高い視認性の両立に成功した。

キャリバー9SA5

平面を強調する一方で、立体感が増したのはケースサイドとかん足に複数の面を与えたため。注目すべきはかん足の先端である。それぞれの面を磨くと、普通はかん足先端の形は変わってしまう。しかし、SLGH005では多角形にもかかわらず、左右のかん足先端は全く同じ形を持つ。手作業で磨いているのに形が変わらないのは、優れた職人がいればこそだ。

インデックスや針も変わった。すべての面をダイヤモンドカッターで均すのはやはりこれまでと同じ。しかし、視認性を高めるため、面積を広くし、筋目と鏡面仕上げを併用している。ちなみに、ダイヤモンドカットで鏡面を与える手法は、カンナがけのようなものだ。表面をわずかに剥くことで、針やインデックスはミクロン単位でフラットな鏡面を持てる。しかし、施す面が広くなると、わずかな歪みもわかってしまう。あえて幅を広げたのは、デザイナーたちの、職人に対する信頼の表れ、と言えそうだ。

<SLGH005のベゼル製造工程>

SLGH005のベゼル製造工程

左から、①プレスで打ち抜いたベゼルの「抜きブランク」。②そのブランクを再びプレスで成型した「プレスブランク」。③ブランクを切削してベゼルの形に仕上げた「切削上がり」。④完成形が「研磨上がり」。ダイヤモンドカッターで側面を仕上げ、ヤスリで上面に筋目を与えている。ベゼルに筋目を施す場合、普通は円状に筋目を入れる。取り付けが簡単になるためだ。対してSLGH005では、あえて取り付けの難しい縦筋目を採用する。

<SLGH005のケース製造工程>

SLGH005のケース製造工程

左上から、①プレスで打ち抜いたケースの「抜きブランク」。②そのブランクを再びプレスで成型した「プレスブランク」。③ブランクを切削してケースの形にした「切削上がり」。④下処理としてザラツ研磨を加えた「ザラツ上がり」。⑤ケースの側面と上面に筋目仕上げを与えた「筋目上がり」。⑥最終仕上げのためにバフがけをした「バフ艶出し完成」。もともとザラツ研磨は、平面に施すための技法だった。しかし、職人の技能が上がった結果、今では難しいとされてきた曲面にもザラツ研磨を与えられるようになった。

低い「重心」がもたらす優れた着け心地

キャリバー9S85

薄いムーブメントを採用することで、11.7mmというケース厚を実現したSLGH005。加えて、ムーブメントの位置を裏ぶた側に配することで、腕時計本体の重心を下げた。ムーブメントが裏ぶたに近いのは、りゅうずの位置が示すとおりだ。

SLGH005は、着け心地も進化した。このモデルが載せる新型自動巻「キャリバー9SA5」は、高性能で丈夫なだけでなく、今までにない薄いムーブメントである。その個性を強調するため、グランドセイコーのデザイナーたちは、加えて腕時計の「重心」を下げたのである。腕時計の構成は自動車に似ている。車高が高くなると、カーブを曲がるたびに車体は大きく傾く。腕時計も同じで、重心が高くなれば、腕を振るたびにグラグラ動いてしまうのである。

対してSLGH005は、腕時計を薄くするだけでなく、ムーブメントの取り付け位置も裏ぶた側に近づけた。自動車に例えると、車高を落とし、エンジンを地面スレスレに取り付けるようなものだ。そういう自動車が、問題なくカーブを曲がれるように、SLGH005は腕を振っても不用意にぐらつかないのである。裏ぶた近くに置かれたりゅうずは、この腕時計の低い重心を物語るポイントだ。

もっとも、自動巻ムーブメントを裏ぶた側に近づけると問題もある。強いショックを受けると回転錘がたわみ、裏ぶたに当たってしまうことがあるのだ。しかし、キャリバー9SA5は、回転錘を頑強に作ることで、ショックを受けても回転錘がたわみにくくなったのである。薄いからといって、頑強さで妥協しないのは、いかにもグランドセイコーらしい。

進化し、多様化するグランドセイコーのダイヤル

グランドセイコーらしさを感じさせるポイントは他にもある。例えば、白樺模様をあしらったダイヤル。これは真鍮製の厚い板にプレスを施し、銀めっきを掛け、最後にクリアラッカーを吹いて仕上げたもの。製法自体は多くの高級腕時計に同じだが、グランドセイコーのダイヤルは、すべてのプロセスが違うのである。

グランドセイコーの強みは、金型で素材を打ち抜くプレスの技術にある。ダイヤルも例外ではなく、精密な金型を、高い圧力で押し付けることができるため、下地の模様を深く細かくできるのだ。その凹凸のあるダイヤルに、銀めっきを施すのもやはり難しい。平たい面にめっきを施すならともかく、場所によって厚さの違うダイヤルにめっきを掛けても、なかなか均一になりにくいのである。厚さが変わってしまうと、当然色にムラが出る。深くて細かい模様の上に、均一に施された銀めっきは、職人の技量を物語るポイントだ。

SLGH005のダイヤルを見ると、模様は立体的なのに、表面は平たいのが分かる。可能にしたのは、最後に吹くクリアラッカーに工夫をこらしたためだ。ダイヤルの表面に吹くクリアラッカーとは、そもそもダイヤルを紫外線から守るためのものである。その厚みは、一般的には10から20ミクロン程度。対してグランドセイコーは、通常塗布されるよりも厚くクリアラッカーを吹いているのだ。他社と比べて過剰なほど厚くしたのは、ダイヤルを絶対に変色させない、という意志の表れだ。ラッカーを厚く吹くと、気泡が入りやすくなるし、乾燥にも時間がかかる。しかし、グランドセイコーにとって、長く使えることは何にも増して重要なことなのである。

<SLGH005のダイヤル製造工程>

SLGH005のダイヤル製造工程

左上から①ダイヤルのベース。プレスで型打ちするため、素材はかなり肉厚だ。②プレスで白樺模様をつけた状態。③外周をカットし、穴を開けた状態。④銀めっきを施した状態。⑤保護用のクリアラッカーを吹きつけた状態。一般的なダイヤルに比べて、厚く吹きつけられている。⑥ラッカーを研ぎ上げた状態。十分乾燥させたラッカーを、ラップフィルムで研ぎ上げる。⑦保護用にさらにラッカーを吹きつけた状態。⑧ロゴなどの印字をプリントした状態。⑨ダイヤル外周に見返しと、アプライドのGSロゴを取りつけた状態。⑩インデックスを取りつければダイヤルの完成だ。それぞれのインデックスにある2本の「足」をダイヤルに差し込み、裏から「足」を潰して接着剤で固定する。驚くほど入念な工程の結果、強い衝撃を受けてもインデックスが外れないようになっている。

かつて分厚いクリアラッカーは、紫外線からダイヤルを守るものでしかなかった。しかし、厚いラッカーはダイヤルに奥行きを与えるだけでなく、下地に立体的な模様を施しても十分カバーしてくれる。このメリットに気づいたグランドセイコーは、やがてダイヤルに鮮やかな色や、ほかにはないパターンを加えるようになったのである。深くて細かい模様とそれを長く保護する塗装を両立させたSLGH005のダイヤル。唯一無二の仕上がりを持つこのダイヤルは、グランドセイコーのダイヤルに対する取り組みへの集大成、と言える。

装着感を高める要素、新しいブレスレットと中留

先程述べたとおり、腕時計の構成は自動車に似ている。車高を低くし、エンジンの取り付け位置を下げ、前後輪の重量バランスを揃えて太いタイヤを履かせれば、カーブをスムーズに曲がれるだろう。SLGH005も同じだ。ケースが薄くなっただけでなく、ムーブメントを裏ぶた側に近づけた結果、腕時計の重心は低くなった。加えて、さらなる着け心地のよさを実現するために、ブレスレットの形状を見直した。SLGH005が、優れた着け心地を持つ理由。それは、全体のバランスが優れているためなのである。

グランドセイコーはブレスレットもユニークだ。いわゆる高級腕時計のブレスレットは、できるだけ左右の遊びを詰めようとする。しかし、グランドセイコーのそれは、意図的に遊びを設けている。腕馴染みを良くするためだ。また、あえて遊びを持たせられる理由は、ブレスレットを入念に作っているからである。

どのメーカーのブレスレットも、駒はピンで連結されている。しかしグランドセイコーは、ピンを押し込んだあと、加熱してピンと駒を完全に接着させている。こうすると強い衝撃を受けてもブレスレットがばらばらになる可能性は少ないし、長期間使っても、ブレスレットの遊びが大きくなる心配も少ない。だから、グランドセイコーは、あえて左右に遊びを持たせることができるというわけだ。

SLGH005は中留の設計も洗練された。あえて長さを抑えたのは、腕が細い人への配慮。また、中留を薄くすることで、デスクワークの際にも、中留が引っかかりにくくなっている。とはいえ、そこはグランドセイコー。薄くした反面、幅を広げることで、使い勝手と頑強さを両立させた。

キャリバー9S85

適度な遊びをもたせたブレスレット。ケース同様、鏡面と筋目仕上げが施されている。ピンを打ち込んでそれぞれの駒をつないだあと、加熱させてピンを固定するため、ブレスレットは強い衝撃を受けても分解しない。耐久性を重視するグランドセイコーらしい「ひと手間」だ。

キャリバー9SA5

中留はブレスレットと同じぐらい薄くなっている。そのため、デスクワークの邪魔にもなりにくい。しかし、耐久性を高めるため、中留を支えるプレートとレールはかなり分厚い。

1967年の44GSで確立されたグランドセイコーのデザイン文法。それを可能にした職人の技量は、今や、ほかにはない個性をグランドセイコーにもたらしたのである。

To be Continued......