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Produced by GQ JAPAN for Grand Seiko
エッセンス・オブ・グランドセイコー Vol.4
「当たり前のことを当たり前に。この時計に大切なことを教わった」──浦沢直樹(漫画家)
累計発行部数は1億2,850万部以上。漫画家・浦沢直樹の作品は、世界20カ国以上で翻訳され、愛されている。デビューから38年、いまもなお漫画を愛し、漫画を描き続ける彼はいう。「1日24時間では足りない」。創作の根源はどこにあるのか。
- Photos(Model): 干田哲平 Teppei Hoshida
- Photos(Still Life): 高橋一輝 Kazuteru Takahashi @ KONDO STUDIO
- Hair & Make-up: 吉村健 Ken Yoshimura @ AVGVST
- Words: 川上康介 Kosuke Kawakami
漫画界のトップランナー
見た目も、話し方も、話す内容も、とても還暦過ぎとは思えない。61歳、デビュー38周年を迎えた浦沢直樹は、いまもなおトップランナーとして漫画界をリードし続けている。
「だいたい午後1時ごろ仕事場に入って、深夜1時から3時くらいまで漫画を描いています。家に帰ると、観たい映画とか読みたい本とかが溜まっているので、それを観たり読んだりして、寝るのは毎日朝6時くらいですかね。休日はないです。2、3カ月に1回くらいどうしても体が動かなくなって休むことはあるけれど、基本、毎日漫画を描き続けています」
現在は「ビッグコミックスピリッツ」で『あさドラ!』を連載中。緻密な絵や次回が待ち切れないようなストーリー展開は、円熟期と全盛期を同時に迎えたような凄みすら感じさせる。
「いちばん忙しい時代は、締め切りが月に6回あって毎日10ページくらい描いていました。そのころの作品を見ると、あの非人間的な生活のなかで(笑)、よくここまで描けていたなと驚くこともあります。いまは1日に4ページです。さすがに子どもの頃から55年以上描いてきて絵も多少はうまくなりましたが、登場人物の表情の“演技”をしっかり描きたいから、ひとつのコマを何度も描き直したりしながら、時間をかけて描いています」
浦沢漫画の根底にあるもの
時を超え、空間を超え、一見無関係ないくつものドラマがやがてひとつの物語へと収束し、想像もつかないような展開がうまれる。そんな浦沢漫画の根底にあるのは、「世界っておもしろい」というシンプルな思いだ。
「漫画を描くだけでなく、音楽を聴いたり、映画を観たり、世界のいろんなことを知るたびに、発見がある。アメリカでこんなことがあったとき、日本はこうだったんだとか。ビートルズがあの曲を歌ったときに、こんな産業が生まれていたんだとか。枝葉に見えていたことを丹念に知り、思いをはせることで、大きな幹が見えてきたりする。そうすると好奇心、知識欲がわいてきて、物語がどんどん生まれてくるんです。昔から思っているんだけど、1日24時間じゃ本当に足りないんですよ(笑)」
ペンを持てば、物語が動き出す――。それは5歳のときから感じていたことだという。そうして生まれた作品は、『パイナップルARMY』(脚本/工藤かずや、1985年・連載開始[以下同])、『YAWARA!』(1986年)、『MASTERキートン』(脚本/勝鹿北星・長崎尚志・浦沢直樹、1988年)、『Happy!』(1993年)、『MONSTER』(1994年)、『20世紀少年』(1999年)、『PLUTO』(浦沢直樹×手塚治虫 長崎尚志プロデュース 監修/手塚眞 協力/手塚プロダクション、2003年)、『BILLY BAT』(ストーリー共同制作/長崎尚志、2008年)など、昭和から平成、令和にいたる漫画史に残る名作ばかりだ。ふと思った。もしかすると彼は、常に全速力で走り続けているから、他の人間と違う時間を生きているのかもしれない。だからこそ、年齢に関係なく若々しくいられるのではないか。そんな思いを伝えると、笑いながらこう語る。
「でもね、時計は右回りにしか動かない。決して止まらないし、戻らない。機械の時計ならいつまででも回り続けるかもしれないけど、生物の時間なんてあっという間。その覚悟はみんな持っておくべきだと思いますよ。だからこそ生きている間は、精一杯おもしろいことをしなきゃいけないんです」
浦沢が選んだグランドセイコー
浦沢直樹の手首につけられている腕時計は、グランドセイコー ヘリテージ コレクション「SBGA 211」だ。風に吹かれた雪面をイメージした白いダイアルが印象的なスプリングドライブ搭載モデルだ。
「この腕時計って、本当にシンプルじゃないですか。最近はいろいろな機能がてんこ盛りになったタイプがいいように思えていたんですが、これを使うようになったら『ああ、時計ってこれでいいんだ』と思いました。いろんな機能があっても結局使わない。時間を知るという、当たり前のことを当たり前にやるということがいちばん大事なんですよね。大袈裟でなく、この時計にそんなことをあらためて教わった気がしたんです。ありがとうと言いたいくらいですよ」
“当たり前のことを当たり前に”。じつはそれがいちばん難しいというのは、モノづくりをする人間にとっては、共通した認識だろう。視認性を高めるために丹念に針やインデックスを磨き、正確に時を刻み続けるためにムーブメントの歯車ひとつひとつにまで気を配る。金属アレルギーがあるという浦沢にとっては、ケースやブレスレットがブライトチタン製というのも大きなポイントだ。
「つけるときはおっかなびっくりだったんですけど、まったく問題ありませんでした。とにかく軽くて、つけているのを忘れるくらいだけど、つけていないと物足りない(笑)。デザインでは真っ白のなかで秒針だけブルーというところも気に入っています。削ぎ落としてシンプルになったというより、最初からここを目指して作られた完成度の高さを感じます」
漫画家としての“核”になるもの
浦沢の漫画家としての時間は、まだまだ止まらず動き続ける。それは、誰よりも彼自身が望んでいることだ。
「とんでもなく面白いストーリーが浮かんで、それを絵で表現することができる。だったら漫画を描かないわけにはいかないでしょ(笑)。映画だとストーリーがあっても、そこから役者を決めたり、スポンサーを決めたりして、撮影をスタートするまで数年かかる。でも漫画は、思いついたその瞬間に始められますからね。13歳のとき、手塚治虫さんの『火の鳥』を読んで、あまりの衝撃に放心状態になったんです。ひとりの人間がこんな世界を作ることができるんだって。そこにものすごく大きな可能性を感じて、感動しました。僕にとっては、そこが原点であり、漫画家としての“核”。空を見上げたら、いつも北極星のように輝いているんです。あの星のほうに向かって、進んでいけば大丈夫。自分の道はそれていないか。ちがう方に向いていないか。いつも確認しながら、遠い遠いあの星に向かって進み続けるだけです」
巨星・手塚治虫は、60歳という若さで惜しまれつつこの世を去った。その星を追う浦沢は、まだ10年、20年と漫画を描き続けていくだろう。浦沢ファンはもちろん、浦沢という星に勇気づけられ、追いかけている“かつての浦沢少年”のためにも、その腕時計が動き続けることを願う。